コラム

日本で唯一、南チロル料理店をオープンした理由【イタリア料理レシピ付き】

2022.04.13

日本で唯一の南チロル料理専門店「三輪亭」。南チロルはイタリア、トレンティーノ=アルト・アディジェ州に位置する地域の名称である。

アルプス山脈をはさんでオーストリア側を北チロル・東チロルと呼ぶのに対し、イタリア側を南チロルと呼ぶようになった。南チロル料理と聞くと、イタリア料理に詳しい人でも一瞬?マークが浮かぶことであろう。

今回は、そんなマニアックな南チロル料理専門店をなぜオープンしたのか、「三輪亭」店主・三輪学さんにお話を聞いた。

 

 


思っていたイタリアと違う

川嶋:三輪さんは20代で単身渡伊し、はじめはパドヴァ(ヴェネト州)のレストランで修行されていますよね。そこからなぜ南チロルに行くことになったのでしょうか?

 

三輪:パドヴァのお店では最先端の機器が揃っていました。世界各国から色々な人種の研修生が集まって、やっていることは凄かったんですが「思っていたイタリアと違う」と思ってしまったんですね。僕は太っちょのママが手料理を作ってくれる、そういうイタリアを求めていたので。しかも、肉料理をどうしても作ってみたかった。魚は日本でもたくさん扱えるので。そこで知人に紹介されたのがたまたま南チロルだったんです。でも、南チロルはハンガリーやドイツに近いということもあり、公用語はドイツ語。言葉もよくわからないし、いきなり働くよりはまずは食べに行こうと思って「ピクレル」というレストランを訪れたんです。そのお店が、僕の南チロルでの修行先になりました。

 

川嶋:食べたこともない料理の数々で、とても驚かれたとお伺いしました。

 

三輪:はい。基本の料理は「イタリアのレストラン200の皿(柴田書店)」という本で予め学習していたんですが、その日出てきたのは本にも載っていない料理でした。例えば、手打ちパスタのスペッツレ(Spätzle)なんて単語自体聞いたこともなかった。「本当にこれパスタなの?」って。知識ゼロだったのがいきなり100になるほどの情報量を与えられてしまったんです。僕は徹底的に調べないと気が済まない性分なので、十分学んでから渡航してきたつもりだったんだけど、全てがリサーチ外でしたね。驚くと同時に、これは自分の武器になるなと確信しました。

 

三輪さんが初めて食べて衝撃を受けた南チロルの手打ちパスタ、スペッツレ(Spätzle、右)。

 

隣国のドイツ、オーストリアでも食される独:Knodel(クノーデル)=伊:Canederli(カネデルリ)。みじん切りにしたタマネギ、スペックハム、イタリアンパセリをフライパン でバターと一緒に炒め具材を準備。ダイス状にカットしたパンとつなぎの全卵と具材を混ぜ、団子状にしBrodo(ブロード)=コンソメスープで煮込めば出来上がり。

 

生き残り戦略としての南チロル料理

川嶋:まさに即断ですね。でも、まだ経験していないうちからどうして武器になることまで確信できたのでしょうか?

 

三輪:僕は料理人でもあり経営者にもなりたかったんです。どうやって生き残っていくかを考えたかった。みんなピエモンテだとかエミリア=ロマーニャに行きたがるけど、行った人たちはみんなこぞって帰ってくるんです。それくらい競争が激しい。じゃあ経験も浅い自分がどうやって勝負するのかと考えた時、他の人がやらないところを突いていかないと無理だと思いました。

 

川嶋:やっと三輪さんが南チロル料理を選んだ謎が解けました。修行時代の印象的なエピソードはありますか?

 

三輪:南チロル山奥のレストランで働き始めた時、同室の仲間に薪割りを頼まれました。当然そんな経験はなかったので、わからないから教えてくれと頼むと、冗談めかしながらも仲間がこう返してきたんです。「教えてやる。薪が割れないと凍え死ぬからな」って。アルプスでは冬の厳しさも日本とは比べものにならないくらいなので、自分が吸収する知識や技術の一つ一つが生死に関わるのだと思いました。だから必死になって覚えたし、周りの仲間たちもそれに応えるように親身になって教えてくれました。

 

南チロル、標高600〜700m地点。アルプスにほど近いこの界隈では冬は寒さが厳しい。三輪さんは生きるためにも必死で薪割りを覚えた。

 

日本人に似ている?南チロルの師匠

川嶋:現地でのコミュニケーションがいかに大事なのか、よく理解できました。他にはどんな出会いがあったのでしょうか?

 

三輪:素晴らしい人との出会いはたくさんありますが、一人は僕が働いていた店「ピクレル」のシェフ、ハンシ・バウムガルトナーですね。南チロルの師とも呼べる人です。コテコテの職人で、朝から晩までずっと仕事に没頭していても飽きないような人。日本人に似ていると思います。でも、彼らの違うところは「per famiglie」なんです。家族を大事にする。ハンシは仕事には没頭するけど、休み時間には「子どもとプールに行ってくる」と出かけていましたね。もう、すっげえな、と。自分も仕事で疲れているのに家族のために時間を取る。これは三輪亭でもやりたいなと思って店名にも「per famiglie」と入れています。子ども連れで家族みんなで食べにきて欲しいですから。

 

三輪亭は東京・豪徳寺の住宅街にひっそりとある。

 

「三輪亭」の今後

川嶋:三輪亭の今後はどのように考えていますか?

 

三輪:この店を9年やっているんですが、それだけでは行き詰まるので販路を拡大して冷凍食品やサラミ類の販売も行っていきたいと考えています。例えば、冷凍食品は最新の急速冷凍機を導入して、作りたての状態で時間を止められるようにしていますのでこれを飲食店にも販売できるようにしたい。そうすることによって仕事量が増えて、10年、20年先もスタッフたちが潤うようになります。店を守るというより攻めていかないと、という気持ちです。

 

川嶋:攻めの姿勢ですね。私たちも負けないようにしなければと刺激になりました。

 


 

三輪学さんプロフィール

三輪 学/みわ まなぶ

1974年、世田谷区三軒茶屋生まれ。 大学時代のファミレスでのアルバイトをきっかけに、飲食業に関心をもつ。卒業後は、大泉学園のリストランテで3年間修業。その後、北イタリアのリストランテに入り、2年間肉料理を学ぶ。帰国後、神楽坂のリストランテで3年半の経験を積み、2007年に独立した。

 


 

最後に三輪さんにレシピを教えていただきました!ご家庭でも簡単にできる「ボルツァーノ風卵ソース」の作り方です。ぜひご活用ください。

 

ホワイトアスパラガスのボルツァーノ風卵ソース添え

 

ボルツァーノ風とは、その名の通りアルト・アディジェの町ボルツァーノに由来しています。南チロルでは一年中作られる超定番のソース。とても簡単なのに美味しい!是非お試しください。

 

材料(2人前)

・ホワイトアスパラガス 2本

【ボルツァーノ風卵ソース】

・ゆで卵 5個

・白ワインビネガー 30g

・サラダ油 30g

・ブロード 30g

・辛子(マスタード)5g

・塩・こしょう 適量

・トリュフオイル(なくてもOK)

 

作り方

1 ゆで卵を白身と黄身に分ける。

2  黄身と白身を別々に裏ごす。

3 ボールに黄身を入れ、辛子と白ワインビネガー少量、ブロード少量加え、よく練る。

4 サラダ油、白ワインビネガー、ブロードを入れ、乳化させていく(マヨネーズを作る要領)。

5 液体が全て入ったら、裏ごしした白身を加え、よく混ぜ、塩・こしょうで味付けする。

6 卵ソース完成。

7 茹で上がったホワイトアスパラガスに、卵ソースを乗せて出来上がり。(他の野菜でも可)

 


 

今回のお店

北イタリア南チロル地方の郷土料理レストラン 三輪亭

〒154-0021
世田谷区豪徳寺1-13-15 ツノダ第1ビル1階

TEL/FAX 03-3428-0522

 


 

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